先月に引き続き、今月も日記を書き続けた。分かりにくいからタイトルかえた。今後も都度かえていく。
私はインターネットで「日記」を書いたり読んだりするのが好きだ。先日、Twitterで「Netflixで公開されている全力投球の映像作品を観るだけじゃなくて、ヒルナンデスをテレビで流しながらダラダラスマホ触るのだっていいじゃん」という旨のおつぶやきを見た。それやりたいよな。肩肘、張りたくね~な~~~。
自分は肩肘張ってるときって結構危なくて、マジメというよりむしろ酔っぱらいに近いものがある。小難しい映画観るとか小説読むとか、仕事とか勉強とか、そういうのを大事なことや意義のあることとして「やってる気」になっちゃうし、陶酔する。それでいて「おまえ、肩肘張り過ぎだよ」より「有意義で大事なことをしていますね!」なんて言葉がよく聞こえるよう、耳も最適化されかねない。そうは思っていても、数年に一度は「肩肘張るか」なんて言ってプルタブを開ける日もあって、基底現実に顕現したストロングゼロを一口飲んで、そういや酒ぜんぜん飲めないんだったって気付く。2020年の下半期はずっと二日酔いみたいなものだった。
(2020/12/02 10:53)審判G – ピピー! 突然ですが、笛です。これは警告を示す音で、動物を飼育するなんて人間はなんて傲慢なんだという話が始まります。猫だろうと犬だろうとなんであろうと、その命を掌の上で転がすなんて、傲慢なことなんです。金魚すくいですくった金魚、そのあと何年生きましたか? なんか9年とか育ててる人いるらしいよ。すごいよな。そこまでいったら金魚も本望だろうって思うけど、この場合は金魚の希死念慮について想像がおよんでいません。「動物なんだから長生きできれば幸せだろうよ」というのも、動物をナメています。それは笛です。ピピー!
今年の8月22日からベタという熱帯魚を飼い始めた。ずっと興味があったにもかかわらずそれまで飼っていなかった理由を説明すると、長過ぎる理屈で玄関の前が埋まるので書き記すことができない。Amazonのダンボールみたいに山積みとなっている。購入したベタはさらに「Plakat」と呼ばれる種類らしく、カナでは「プラガット」「プラカット」と示される。「カ」「ガ」の表記揺れっていうのが私は本当に許せないのだけど、専門店でさえ「プラガット」とする場合があるため、ここではPlakatとする。
ここで段落が変わった。ここ数年の私は無知であることを隠したくないため、店員に購入の相談をする際に「何が必要か」を丁寧に、かつ自分がアホであることが最大限伝わるよう質問しようと努めた。すると店員氏は「今からいつまで飼うかによります」と返した。魚だけにギョッとした。嘘。0点。購入日は8月22日。夏も夏で、この日の都内は36度くらいであった。激暑い。これはマジ。そして数カ月後は冬だ。
私は「生き物なのだから、責任をもって長いこと飼育したい」などと返した。これはペットを飼育するもの一般にとっての優等生的大正解答であると信じていた。違った。「いやあ、それも人によりますよ」とのことであった。それもまた店員氏の回答に過ぎないのだけど、世には「ただ瓶詰めにしただけのベタを横にズラっと並べる人」というのもいるらしいし、それも管理できていれば虐待と言い切れないし、別段否定されるべきものではない。飼い主である以前にコレクターということだね。たしかに「観賞魚」という言葉もあるものな、と私は勘付いた。
結局、私は当該のベタと、店員氏からすすめられた水槽を購入した。水槽にはヒーターとフィルターがついてきた。あと、水の調整剤。餌は別で買った。終わり。それだけでいいのか、と思った。あまりに簡素で、パワーパフガールズの原材料みたいだ。
ここでミュートされていたインストゥルメントトラックが立ち上がり、再び笛の話です。「観賞魚」と呼ぶことは、命をナメている可能性があります。これは人間の捕食者たる上位存在が「ウチに鑑賞人(かんしょうびと)がいるからおいでよ」なんて言って何かを口説こうとする妄想によっても理解できるが、そうでなくても分かるわい。なんかイヤ。でもキレイなんだよ。ベタ。これはマジな話、美です。宝石や絵画を例にした比喩もできるけど、生きてるっていうのがすごい。水槽が、それを無事に元気に生かす環境を(結構自分勝手に)構築しているってのもすごいことだ。
飼育とは、そんなすごいものを自分の小手先で生かしたり死なせたり、元気にしたり破壊したりすることです。これは傲慢だ。人間の捕食者たりえる上位存在がこれに気付いたら、デヴィッド傲慢たる私の家の玄関の前に、とっくに見飽きたモノリスを送りつけてくるだろう。出てくるときにユィユィユィユィ、ユィユィユィユィとかいうやつ。そして私がこの黒い板を触ったところ、案の定けたたましいユィが鳴り始めた。今は2020年なので、それが宇宙の旅どころか地球の家であろうと、こうなることは分かっていた。
モノリスに触れた私は気付いた。「傲慢でいいか」。それはもう、仕方ないっていうか。いいじゃん。良くないけど、私のようなものは、一切の傲慢さから逃れたまま人生を終えられない。ユィユィユィユィ。ハングルみたいな字面でモノリスが歌っている。でもさー、完璧を目指すのは無理だって言って何かとすぐに諦めるのはダサくない? ユィユィユィ。Googleストリートビューで実家付近をうろついたときくらいに、その言い方にも位置リアル。私はいくつかの矢印が見える中でなんとか見覚えのある国道に出てみると、それが国道でもなんでもなく、ゴーマン船長になる道であったことを悟った。暗い宇宙の中で、|||||||| みたいなやつが視界を覆う。
船長になった私はPlakat(前置きしたのに結局ほとんど使ってなかったな)の一挙一投足に注意を払い、観察したり、しなかったりしながら、生活を実施した。私が水槽を覗き込むと、ベタは近付いてくる。指先を見て、追いかけてくることもある。餌をもらえると想像しただけに過ぎないかもしれないし、感情的な反応かもしれない。だとしても、そこに0.2秒の自由意志が働いているかどうか、説明はできない。ま、いいか。ユィユィユィユィ。どちらにせよ、私はベタのいる生活に幸福感を覚えるし、彼は現在も生きている。最近はちょっと眠そうだけど。
こうして、「人によりますよ」という回答を得たあとの私はモノリスに触れて、「傲慢でもまあいいか」と思うようになった。究極的には、ベタがいつ死んだって構わない。嘘。死んだら相当かなしいよ。でも、最大限の努力をした上であれば、その死によって自分を責めることはない。
8月22日から数日後には、水温計や隠れ家、葉っぱなども購入した。今はジクラウォーターも入れてるし、点滴法で水を換えるための装置もこしらえた。こうなると、パワーパフガールズの原材料より多少は複雑だ。喧嘩しなければヤマトヌマエビ(こいつらはコケを食ってくれる)を足したいけど、相当難しいかも。かわいくないが、巻き貝(こいつらもコケ食う)を入れたっていい。薬浴用のなにかも買っておきたい。最近は乾燥だけど赤虫も与えている。水草は入れたり出したりしたが、できれば小さな流木とアヌビアス・ナナを入れたい。お砂糖、スパイス、すてきなものいっぱい入れたい。嘘。
てか本当は、あんまりゴチャゴチャ出し入れしたくない。入れたいけど、ベタのことを考えると、それって必ずしも正解ではない。ベタだっていろいろいて、個体差があって、好みがある。そういうことを考えている間は、幸福だ。ベタの購入から一ヶ月後、私はロングフィンカージナルアカヒレとアジアクリスタルキャットとミナミヌマエビを混泳させる新たな水槽も立ち上げた。この水槽にもいくつかのエピソードと死! があるのだけど、ちょっと長過ぎるので今度にする。
(2020/12/03 15:05)破棄
(2020/12/03 17:22)弁当食べたらPFC狂う –

数カ月ぶりにコートを着てみたら、ポケットから紙くずが出てきた。写真はその紙をSNOWで加工しているところです。まずは、この時点でコートをクリーニングに出していないことが説明されています。
紙いわく「50円引き クーポン券」とのこと。有効期限は2020年4月29日から6月30日。半年以上も現世に存在してきただけで、この50円引きクーポン券の価値は50円以上じゃない? すご。はるか昔、この世界にまだ弁当屋が存在していた時代に、オリジン弁当で使えたらしい。オリジン弁当というくらいだから、きっと世界で最初の弁当屋なのだろう。私の最近の朝昼晩食はすべて沼なので弁当食べたらPFC狂う。てか食どんどん細なっとる。食べるのも遅くなっとる。秋ごろなんか、おにぎり屋さん(はあ?)でおにぎり2つと豚しゃぶサラダを食べ切るのに小一時間もかかって、自分で笑ってしまった。給食食べ切れない子どもか? みんな机片付けて掃除し始めてるのに……昼休みには奇妙なルールのオリジナル鬼ごっこをやりたいのに。
何がショックって、私のあとから店に来たおばあさんにすら食速で負けたので俺の胃袋は宇宙の足元にも及ばなかった。宇宙に足があると言うやつは、きっと私以上に面倒くさいやつだろう。もう、いいんだ。関係ない話は。まあ、食が細(ほそ)なった。んろちも若干体型も。私は昔太っていて、そのあとゴリっと痩せて、また太って……というのを繰り返しているので、ちょうどいいかもしれない。
誰にとってちょうどいいかっつうと、それは私を見る誰かではなく自分にとってちょうどいいんですが、その話も今回はいい。スカートの下の劇場版名探偵コナンでも何が真実で何がひとつなのか分かっていない。で、なんでクーポン券をSNOWで加工したのかっていうと、今日はマジなんにもやってなくて、沼を作ったり材料の買い出しにいったり、ちょっと良い入浴剤を使って多少ウキウキしてみたりしただけだったから、今日という一日に意味を作りたかった。そしてSNOWいわく、「人物の認識に失敗しました」とのこと。お前なんかに人間の何が分かるって言うんだよ! 人間の顔面を理解した気になるなよ。
結局私にとって現代は悪だらけで、昔は良かったのだろうなあと、いつもと同じように夢想する。マンモスの肉は飽きたなあっつって、大きな石のお金をゴロゴロ転がして、その昔存在したといわれる弁当屋に行ってさ。そこで、満を持してののり弁当だわ。いや、やっぱ油淋鶏。油淋鶏弁当。あとサラダか煮物足す。なんかタコとか入ってる魚介っぽいやつ。お会計880円です。えっ嘘、たか。石のお金、足りないんだけど。クーポン券使ったらなんとかならないかな? 大変申し訳ございません、お客様。こちらのクーポンはオリジン弁当だけに起源切れです。はあ。もちろん店員はそんなことを言わないし、ここは現代であってオリジンだけに紀元前じゃあないし、なんだかんだ私は油淋鶏を食べて、久々の揚げ物に罪悪感を覚える。結局やっぱり憂鬱だ。お客様、いかがされましたか。お前うちにまで来んなよ。ご体調が優れないのであれば、ピピッと鳴るまでタッチをお願いします。うるっせえな。っていうか会計さっき済ませただろ。ざっけんなよ。頭の中の店員が精いっぱいボケながら、私の機嫌をとろうとしている。オリジンだけに……。
(2020/12/07 15:48) なにか憂鬱なことを書いたり感じたりしている時間は愉快だ。LoFiなんか、アートからして自己陶酔じゃん。「憂鬱な私」というシチュエーションは、都合のよい特別さがあるし、行動ポイントの無さを許される気がする。当然、憂鬱な他人にここまで辛辣に言うことは絶対にないけれど、自分に対しては言わないと気がすまない。
薬局の案内板について – 今日はただヤマトヌマエビを買うためだけに外へ出掛けた。せっかくバスに乗ってまで出掛けるのにエビを買うだけっていうのはなあと考え、普段買わないタイプのアホな入浴剤を買うべく薬局に寄った。炭酸がどうとか、ローション的にドロっとしてるとか、そういうやつ。
たしか入浴剤の話はこの前も書いたので、源静香感の発生をここで認めます。あら、ドラちゃん。あら、ドラちゃん? 私は「あら、ドラちゃん」以外の源静香言語を習得していなかった。peeped at 風呂からの「のび太さんのエッチ!」は錆びた鉄板。錆びたっつったけど、厳密にはこういうセクシャルハラスメントに対して「時代だね」って言うのはほんと卑怯でいらつくし、「それは卑怯だろ」と言うときの自分の声の大きさ(喩えです)に自分でビビることがある。ここでドアが開いて挨拶です。ガチャガチャ、キイ、どうも。日常に潜む怒りです。よろしくお願いします。こんにちは、サンタクロース。
こんにちは、次の段落。マキマさんがネットミームになっているかどうかについて、私は『チェンソーマン』のネタバレを回避しまくってるのでよく知らない。「劇場版ジャイアン」の話は小さなミームだけど、「劇場版しずちゃん」の話ってあんまり思い出せない。スネ夫は案外重要だし、クエストギバー的な側面がある。ギバーで思い出したけど、バギーちゃんっていたね。思い返せば、海底鬼岩城でも鉄人兵団でもかなりの劇場をやっていた。私の考えが浅はかで、ドラえもんに対して視野が狭かった可能性が高い。ドラえもんが好きな人がドラえもんのことを「ドラ」って呼んでるの、結構好きなんですよね。こんにちは、関係のない話題。ここまで薬局の案内板については何も考えてなくて、「台所用洗剤」「化粧品」「掃除用品」などと書いてある板がいっぱいあって愉快だったという話でした。
大きな魚のマーブル模様のうろこについて – 熱帯魚屋には家で飼育しているよりもだいぶ大きい魚がたくさんいて、またこれも見るだけで愉快だった。スネークヘッドが持つ青と白のマーブル模様のうろこは、成長によって様子を変えていくだろう。たぶん。想像だけど。ほんとに大きいので、60cm水槽も置けない拙空間には不相応だ。ECサイトで3,000円っていう値段がどうなのかもよく分からん。ところで私は今回も熱帯魚屋店員氏からちょっと良い話を聞いて、そのきっかけは「熱帯魚用の薬剤がどれも出荷停止になってて、なんか法律が変わったとかきいた」というアホみたいな拙問だった。拙問なんて言葉があるかどうかは知らない。
薬剤にもよるのだろうけど、一部の製品は原材料がやはり法的に難しい扱いになったり、COVID19による物流の難などが理由とされているらしい。「あんまり詳しい話はできないけれど、この店に薬は置いていない」「薬は魚にとって必ずしもプラスではないため、薬浴の前にできるほかの選択肢を探したほうがよい」といったニュアンスの話を、加えて聞かされた。ラーメン屋における無化調信仰みたいなことか……? と一瞬思ったが、考えてみればそれはそうだ。実際、拙魚(これは私でなく魚にとっての一人称では?)は薬浴が必要なステータスではないため、給餌量や水温、水換えペースなどで健やかにやっていける。その場では「なるほどハハハまあ差し迫った状況ではないので……」なんて言ってみたけれど、もしかしたら、いつだって差し迫っているとも言い換えられる。自分自身についてもそうかもしれない。そこまで考えなくてもいいかもしれない。でも結構、こういうときにスケールを大きくしたり小さくしたりして考えることが好きで、四六時中やっている。
カレー屋・八百屋・カレー屋について – そうして入浴剤とエビを買った私は、バスに乗って帰路についた。冬なので、ビニール袋に入ったエビとその水温が気になる。なるべく暖かい時間帯を選んだけれど、Apple Watchいわく外気温17度。それがイコール水温でないにせよ、家の水槽は26度固定なんで、水合わせは慎重にやらねばなんない。そんなことを考えて歩いていると、新たなインドカレー屋が近所に開店したことに気付いた。実質ネパール料理屋なんだけど。まあカレー屋。カレー屋の隣には見知った八百屋が営業中。いつもどおり。八百屋の2階には欧風カレー屋が営業中。これもいつもどおり。今後、この町ですべてがいつもどおりの場合、以下のようになっていく。
カレー屋
八百屋カレー屋
町が静かにぷよぷよを遊び始めたんだと思った。八百屋をどうにか3つ繋げておいて、右端のカレー屋もいくつか繋げておく。八百屋が落ちてきたら、それが連鎖のトリガーになる。なるかな? ぷよぷよみたいと言っても、私はべつにぷよぷよが得意じゃない。八百屋が落ちてきたら、カレー屋も八百屋も全部消える。この町は終わりです。ていうか、八百屋の隣のスペースでは、先述した欧風カレー屋が営業してたんだよ。もともとは。それが八百屋2Fに移動して、残った欧風カレー屋の残像が実体化して、インドカレー屋として顕現したということ。なんだかおかしい気がする。カレーってみんな好きか……? てか本当にわくべき疑問って、「カレーってみんな好きか……?」ではない気がする。
なんも分かんなくなった私が引き続き徒歩していると、向こうから犬を散歩する男性がスポーンした。また犬だ。すれ違うときに犬が私の足元を見てきたので、シューゲイザーっていうのは演奏者自身がうなだれていなくても、観客が足元をゲイズしてりゃ成立するじゃあないかよと思った。あと、犬&人間とエビ&人間の組み合わせが交差したことにも気付いた。エビの生命を毀損する気は毛頭ないのですが、このタイミングでなぜか「憂鬱な私」というシチュエーションが発生したので、こうして日記を書き始めた。今終わった。愉快でした。
(2020/12/10 8:02)無題 – 「~ない」が一文の結びとなることが思いのほか多くて、自らの文章を後から読むときっていうのは、ほとんど気が気じゃない。早速1点先取する。つまり、「~をできない」「~をしない」「~無い(存在しない)」ということをトピックとすることが多いのかもしれない。在ることより無いことのほうが山積みであり、存在しないものが山になっているので、そこに山があるから登るジョージマロリーちゃんはヒマラヤの空気階段に向かって一歩目を踏み出すことになる。このように、「~ない」の文でなければウソしか言えない。
過剰なまでに「~ない」で文章を結ぶこと自体を何かしらのテクニックと見なすことはできて、「~あい(ai)」という音が続くので、ともすれば韻を踏んだ雰囲気にできたりもする。韻のテクニックやルールについてはどうでもいいんですけど、「ない」で踏み続けることのつまらなさと言ったらこれ以上ない。英語の「er」「ny」で終わる韻はどうかっていうと、英語だからちょっと美しいかどうか分からない。『ハイペリオン』を読んでもイェーツがどうとか分かんなかったし。
例えば「眠れない」の顛末を示す言葉に「起きられない」が到来したとして、「今日はなかなか眠れないから明日は起きられない」なんて文章ができたとする。なんか睡眠が大変そうだねとかって話はここではさておかせてほしくて、とにかく私は「無」やら「no」やら「not」やら「nothing」の性質が二重することが退屈でやってられない。それが音韻として優れてるかはもはや興味なくて、同じ話を二度も三度もすることがつまらない。気を抜くとひとつの段落で大量得点を獲得するので、ここから審判は休憩させることにする。
べつに「ないない文章マンはきっと精神的にほんにゃららな状態なのだね」という分析をするつもりもない。あ、あ、あ。審判は休んでるから今はだめだ。早速スコアボードが気になってきてんだけど。つうか、実現がどうとか欲求がどうとかって話をしたいわけじゃない。あー。これよ。「~どうとかって話をしたいわけじゃない」の逆をやらねば、「~ない」からの脱却は図れない。ほら。つまり、正解は「~の話をしたい」「~をすれば脱却を図れる」だ。それだとなんかおもしろくないし、それが本当に正解とは言い切れない。
とにかく、同じような文が続くことに耐えられない。それは修辞に問題があるんじゃなくて、そもそものコンセプトの話じゃないかとにらんでいる。で、それがなんで退屈で、これからどうしていこうかって、そういうことを考えるつもりは毛頭ない。こうやって堂々巡りを繰り返して、マリオサーキットをぐるぐるまわりながら周回遅れのNPCクッパにダメ押しのバナナ直当てを狙うことに喜びを感じているだけ。
(2020/12/13 14:56)無題2 – 『論語』で、弟子が隠者にヤな感じのことをされた話があった。たしか。Siいわく俺たちはいつでもふたりでひとつであり、隠者みたいに自分を隅っこに追いやってシニシズムの湯♨に浸かるのはCOOLじゃないよねとのことであった。たしか。
儒教については、『蒼天航路』で曹操がぶっ壊そうとして荀イクがワアアーってなるやつということしか知らないし、そういえば『シヴィライゼーション』でもあったような気がする程度にしか知識がないため、それが『論語』と関わりがあるかどうか分かっていない(マジでないのか?)。隠者についてはハーミット・パープルくらいの知識しかないよ。
私は2007年にTwitterをはじめて、それから5年くらいは無邪気にSNSしていたのだけど、どこかでやる気が失せ、鍵アカウントでコソコソものを言うだけの雑魚となった。最初の数ヶ月か1年くらいは雑魚としてすいすい泳いでいたのだけど、じんわりと、オタク・アニメの話を思い出すことになる。“I thought what I’d do was, I’d pretend I was one of those deaf-mutes(僕は耳と目を閉じ、口をつぐんだ人間になろうと考えた)”だ。私は自分のことをヒロイックに鼓舞できないのだけど、“or should I?(だが、ならざるべきか?)”について一切の考えを持たなかったっていうと、ウソだ。アウトプットしたい重要なことがあったり、黙っちゃいられないことっていうのが、生きているうちにいろいろあるんだ。だからウソだ。
ウソだ。ウソなんだけど、まあ、べつに何か目立ってアクションするってことはなかった。強いて言えば、自分の見える範囲で性や人種などにまつわる様々な差別が起きたら、隅っこから差別者を嘲笑するのではなく、彼・彼女らに何かしらの影響をおよぼそうとした。これはかなり危険なので、ゆっくりやったり案の定失敗したりもした。マジで反省してる。ごめんなさい。ただ、根本では許していない。
そこで反省して計画を考え直したところ、「案外生きているだけでも世の中にプロテストできる」ということに気付いた。私は誰にも迷惑をかけない(たぶん……)範囲でやる生活や仕事においても、うっすらと意志を表示することがある。たぶん……。例えば「スタバに行く/行かない」というのも、社会に対するひとつの主張にできる。ただ、不買運動も購買運動も社会への心配機能を支えるための有酸素運動であって、それだけでは筋肉を鍛えられない。これはちょっと無理言ってる喩えです。
私はもう10年くらい髪が長い。なんかこの文章、変だな。まあ。いいか。最初の3年くらいは「髪の長い男」として社会からアンコモン扱いされることがあったけど、歳を重ねて堂々と振る舞うようになったりもして、もはやほとんどツッコまれない。それが時代の流れや「多様性」とやらに関わりがあるとは到底思えないが、ただ私が社会生活をやるだけで「ああ、男が髪を伸ばしていても悪いわけじゃないんだな」と誰かに考えさせることができれば、それだけでアド。爆アド! そんな言葉は知らない。
ただし、私は基本的に機嫌が悪いし、たちの悪いものが好きなので、手がつけられない恐怖物体であると思う。そういう手合が起こす行動っていうのはとてもエフェクティブなので、とにかく自分の一挙一投足にヒリヒリする。まるで巨人の気分だ。ドシン。ドシンたる自分が生きやすいと感じる場所っていうのは、「誰かにとって生きやすい場所」だ。言葉遊びではない。この考えが何かの拍子に頭から抜け落ちて、何者かを『fit boxing』で覚えた右ストレートでぶっとばすことになってしまったら、それはもう終わりだ。なので私は毎日シャドーボクシングを続けて、社会に対してちょうどいい拳の出し方を覚えるべく、感謝の正拳突きを繰り返している。なんでずっと漫画の話してんの?
(2020/12/15 7:20)魚の話 – 飼っていたアジアクリスタルキャットが一匹死んでしまった。熱帯魚界隈では「☆になった」、転じて「☆」そのものを死と示すらしい。また、「落ちた」とも言う。「落ちた」がしっくり来る。命を落としたわけだし、私の感覚的には飼い主の傲慢さと自分のための尊厳、被死者の主観のバランスをちょうどよくとっていると思う。この場合、被死者たる魚にとって死は無であるので、ダブル傲慢構造で人間の汚れがよく落ちる。以下、突然の飼育メモです。正しい情報かどうかは分からんけど、私の経験則ではある。
アジアクリスタルキャットの飼育は、たぶんちょっとだけ難しい。特殊な魚だからではなく、おそらく入手できうるすべての個体がワイルド(野生)だからだ。そのうえ日本語で書かれた情報があまりに少ないので、私は海外フォーラムや通販サイトを必死に読んでいた。具体的にいうとこちらです。あとは「Planet Catfish」。前者は2009年に投稿された飼育方法についての質問トピックだし、両方とも海外サイトであることを忘れないようにしておきたい。水質などはそのまま置き換えられない可能性がある。
まあ、で、何が書いてあるかっつうと、「隠れ家を用意してやれ」「冷凍赤虫でも人工飼料でもいけるっちゃいける」くらいのこと。以上です。普通ですね。水温はだいたい26~27℃前後でいい。私の環境ではアマゾンフロッグビット、アヌビアスナナ、流木、ソイルを投入していた。水は30リットル未満。5匹のアジアクリスタルキャット、7匹のロングフィンカージナルアカヒレ(EUCB)、3匹のミナミヌマエビを混泳させていた。変なことになってなければ、それなりに酸性に寄ってる。アマフロの下はアカヒレがうろつくので、アヌナナがエビとアジアクリスタルキャットの隠れ家となる。
ワイルドとは要するに野良出身ということなので、最初は「市販の餌に慣らす」という過程が必要になるだろうが、そこは頑張るしかない。「腹が減りゃ食べるだろ」はなかなか通用しないし、餓死は有り得る。そのうえアジアクリスタルキャットは水槽の底のほうや水草の中を好むので、マジで餌付けが困難。かと言って乾燥赤虫が匂いを失うまで沈ませたり、毎食を冷凍赤虫にしたり、ナマズに向いたペレットを与えたりするのは、嗜好的にもコスト的にも疑問が残った。日頃のストレスと嗜好性を考慮すると、アマフロ+水面に浮いた乾燥赤虫が私にとっては最適解だった。
まとめると、適切な隠れ家を用意して、冷凍or乾燥赤虫を与えれば、少なくとも病気にかかることはない。なんかやっぱり普通だね。あとは他の生き物と同じく、個体差があることを念頭に置きたい。いろいろある。5匹の中にも個性があったし、私が落とした1匹は2ヶ月目くらいからマジで乾燥赤虫を食べなかった。食べても吐いたりした。ベアタンクに隔離すればいいってもんでもないと思われた。
また、アジアクリスタルの柄には注目する必要がある。その斑模様は、おそらく自然界に適応する上で身につけたものなのだから、「斑模様ができるような環境」を想像しながら水槽を作る必要がある。だから水草は絶対必要じゃないかしらん(のび太)。ベアタンクで混泳させたら、かなりのストレスになると思う。
私の飼っていたアジアクリスタルキャットの死因は「飢えによる衰弱死」と考えられる。肉眼で観察できる病状やサーモ故障などのアクシデントは無し(身体すけすけなので消化不良かどうかも視認しやすかった)。ここでの「飢え」というのはストレスで餌を食べなくなったことが原因と見られるため、「ストレスによる飢えによる衰弱死」が近いかもしれない。死は、いろいろな理由によって構成されています。以上です。いかがでしたか?
ところで「アジアクリスタルキャット」は学名「Hyalobagrus flavus」であり英名「Dwarf Ornate Bagrid」とされているらしい。「~Shadow Catfish」と呼ばれることもあるみたい。「アジアグラスキャット」とも呼ばれるし、「アジアン~」だったりもする。このへんマジでブレブレなので、ググるときは本当にがんばるしかなかった。今もなにか勘違いしてるかもしんない。「~flavus」と「~ornatus」の違いが分からない。
厄介なのは「トランスルーセントグラスキャット」というポピュラーな生体がいるので、「同じ“グラスキャット”だから飼育方法も同じだろう」と目されること。どちらも身体が透けているけど学名には「Siluriformes(ナマズ目)」までしか共通点がなく、アジアクリスタルキャットが「Bagridae(ギギ科)」であるのに対して、トランスルーセントグラスキャットは「Siluridae(ナマズ科)」だ。それが具体的にどう違うかは知らんが、「まったく同じ」って言う神経は結構やばくない? 傲慢!
正直、こうやって生き物について勉強する経験というのが今までの人生になくて、楽しいっつうとひどいんだけど、楽しい。なんつったってアジアクリスタル(いまさら略すわ)は日本語圏での飼育情報がマジマジ見当たらんし、日本の販売店でもガンガン表記揺れてる。飼育記録は3~4件見つかったら良いほう。この日記すら有用な情報となり得る。そんな気がしたので、自分のためにも誰かのためにもメモっていった。私の日記は文頭に日付と時刻をつけていたので、初めて熱帯魚をなくしたときの記録でもあったりするが、べつに神や仏に祈ったりはしない。それこそ人間が起こし得る最も傲慢な行為だ。
(2020/12/15 13:54)無題3 – <電話の発信音> あ。もしもし。私です。日記、いま時間ある? あのさあ、今月の日記の話なんだけど。「一挙一投足」って言葉をさあ、12月の日記の中で既に3回も使ってんだよ。使うか? 「一挙一投足」なんて言葉、引き出しの手前のほうにしまっとくか? 3回だから、12月度は三挙三投足か? この数え方がアリだとしたら、一石二鳥も五石十鳥までいけるよね。十把一絡げは百把十絡げ。なんかコスパ悪い感じするよな。ドモホルンリンクルみたい。どうだっていいけどさ。あー。今から電車乗るから。じゃあ、また。 <切断>
(2020/12/17 22:18)フィードバック不要論 – 先に言ってしまうと、不要なんてことはない。私は2007年くらいからDTMをやっていて、同人誌を作ったり、いわゆる「創作」とされるものは13年くらいやっている(今初めて数えた)。音楽のほぼすべてはデジタルで配信/頒布していた気がする。同人誌は紙だけだったかな。でも結局、TwitterやらSNSやらで知り合ったコミュニティの中で作ってきたものなので、私の創作とオンラインは切っても切り離せない。
そういう理由があって、私は何かを創作して発表したのち、「良かったですねえ」「良くなかったですねえ」といった反応をほぼオンライン上でのみ受け取っていた。創作には発表がつきもので、私の発表にはオンラインがつきものなので、創作とオンラインはガチガチに密接。ともすれば「創作行為をしてない自分はTwitterをやっていちゃだめだ」なんてところまで考えを飛躍させられたかもしれない。たまにそういう人いてビビるね。やってていいじゃん。
SNSでの反響を意識するよりも、むしろ『非現実の王国で』のように、誰にも発表することのない創作物のほうが「芸術的」「クリエイティブ」「ピュア」なんていう不確かな評価が似つかわしいかもしれない。その評価のどれもが良いとも悪いとも思っていないけど、私にとって作文や作曲、制作のすべては自己との対話みたいなものなので、「発表」は二の次だ。そういう意味で『非現実の王国で』の立ち位置は深く頷けたりもする。立ってないんだけど。
だったらヘンリー・ダーガーのようになればいいかと言うと、そういうわけでもない。私は誰かが発表した創作物に心から感心したり、「そういう考え方があったのか」と発見することがあったから、自分もその誰かのようになれたらいいと思う。自己との対話を他者にとっての恩恵とするのは、あまりにおこがましい。
また、私は小説を読むのも「筆者との対話」だと思っている。カート・ヴォネガット・ジュニアやガルシア・マルケス、莫言、高行健が一方的にべらべらと喋ってくるので、それを聞いていた。私が好きな彼らは、みんな難しい話を難しく喋るので大変だ。
ここから難しい話を難しく喋ってしまうのですが、自己との対話をするときの「私」は「自己」と対話をするので、分裂が起こる。私は自己を客体化する。あるいは、自己が私を客体化する。早川たる私も、その脳だか心だかである自己も、基本的には黙りっぱなしなので、マウスとかキーボードとか楽器とかを使わないとコミュニケーションが成立しない。でも、他の知人の誰よりもうまく会話ができる相手だ。
そのうまい会話を楽しむのが私にとっての創作の目的であるため、やはり「発表」とその後の「フィードバック」というものについては考えたくない。ディストリビューションにも美があるので前者はギリ譲れるとしても、反響を気にすることはできない。反響を理由に自己との対話を変えるっていうのは、私にはできない。調整もきかない。
世の中には反響を受けることがとても得意な人というのもいて、すごい。かと言って、それが必ずしも他者にとっての恩恵につながるとも思っていない。私はなかなか人の顔色を伺えないし、伺えたところで伺わない。それでも「誰かのために~」なんてことにできたらラッキーだなとほんの少しだけ祈ったりするので、欲が深い。
(2020/12/22 18:31)JUMP DRIVE / 跳躍航法 – 17日〆切の原稿があって、あたしゃそれから日記書いてなかったんだ。へえって思いました。別にそれが超絶おもろい原稿かって言うとそうではないんだけど、珍しく1日3時間×3日くらいのスケジュールを計画してそのとおりに事が運んだので、赤出なければやっぱ回避できないよ自尊。スケジュールとか設計図なんかをうまく書けない回せない人生だったので、マインクラフトのトラップタワーから設計図の大切さを覚えられて良かったよねっていう、ゲームオタクである自分もちょっとは肯定されちゃうよね。
まあ赤は出るんだろうけど。つうか赤が出ないほうが不安。インタビュー開始5分前に全然関係ないインタビュイーに差し替えられたり、やろうとすることなそうとすることのすべてが直前にでんぐり返しされたりしていると、それがデフォ設定になって、なんもうまくいかないことが生きの大前提となってくる。黒犬騎士団ワイアルドがごときスリル&エキサイティングで「楽しもうじゃん人生」状態となる。こういう脳内麻薬、効くんだよな~怖怖怖怖。ちょっとキーボの調子出てきましたね。日本語で作文しようとしてんのにCTRL+Vが言語のアウトプット方法として用いられるのって、虐殺器官のタネになんないかな。
脳内麻薬が効きやすい人っていうのが結構羨ましくて、私はなかなか自分を鼓舞できない。仕事だったら、「働いている自分はかっこいい!」とか。別に貴賤はないので「バイトリーダーの自分」でもいい。「超良い原稿書いてる今の自分を褒めたろ」みたいな、そういうモチベーションもない。社会や経済、組織の存在を前提とした自己陶酔っていうのができないし、自分には似合わない服みたいに感じる。
その鼓舞の方法を他者とシェアするのは、ビジネスマソ向け自己啓発書っぽくて更に苦手。ところで私は単行本派なので、「チェンソーマソ」と呼ぶことで「チェンソーマン」をミュートしているTwitterのタイムライソで、ネタバレと自己のおつぶやきをふるい分けている。でも最近それすら無理になったので、「ェンソーマ」をNGワードにしたり、ネタバレを諦めたりした。
ネタバレの何がイヤって、「自分が求めていた体験」を壊されることにあるんですよね。ネタ自体の性質よりもさ、体験。「パートナーと一緒に映画館で観てびっくりしたかった」とか、「特別な日に観て/読んで/聞いて/遊んで、感動したかった」とか、いろんな方法があるわけじゃない。それってネタ側の負担がやべー重いが。それでも私が注文するのは、チェンソーマソを一刻も早く読みたいけどジャンプ追うのダルい・金無い・スペースない(物理もデジタルサブスクも)のネガティブだし三拍子セット。ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂを思い出せる字面と文脈なので、これでチェンソー色のぷよぷよがもう少しで消えそうだ。
Twitterでちらちら見えんのは、「未来最高」とかマキマさんがどうとか、なんか大事そうな話ばっか。かたや俺はデンジの砂漠で死体を見て、呟くんすわ。it’s a true world. 嘘。べつに何もつぶやかん。つぶやかんヤメロー。つぶやきシローとの対消滅を狙うのはさておくとして、Twitterの利用を控えめにしていたので、早川がどうなるとかの情報がこれまで一切入ってこなくて良かった。そういうのも含めて“自分ひとりの世界を大切にしたい”というのが、先の「フィードバック不要論」であるはずだったのだけど、結論が見えずゴチャゴチャしていましたね。てか自分ひとりの世界っていうのを「早川の世界」と書いたところでハッと気付いて、これは私の本名なんですけど、いよいよ24時間くるくる回り続けるサイコ・サイコロトークと事実と固有名詞がその像を激しく点滅させはじめた。古のコピペを基にドライブしてしまったことにより、この段落は目的を見失い、研究員によって収容されました。
前段落で得たフィードバックを基に、多数の修正を加えた段落がこちらです。この段落は古のコピペに頼らず、事実と固有名詞の区別が明確化されます。また、それによって常に目的を補足し続けるのです。現時点では「改良を加えた段落である」ということが本段落が持つ唯一の特殊な性質であるため、それを純粋に追求します。私は早川です。職員の声に耳を傾けて作った段落ですので、「フィードバック不要論」なんていう先が見えない遊びには目を向けません。サイコロには1から6の数字が振られていて、「今日の当たり目」とかは書いてないです。事実は事実であり、2+2=5ではなく、4です。あのさあ、小池百合子がさ、「密です」の次に「ヨツです」って言い出したらマジでおもろくない? この段落は目的を見失い、研究員によって収容されました。
(2020/12/24 10:03)無題4 – 赤は出た。